植物の根
植物の根というものについて、近頃よく考える。というのも、先日大掃除をしたからだ。それはちょっとした「開墾」と言えるくらい大変な作業だった。
我が家の小さな花壇には、以前の住人が植えたアイビーが生い茂っていた。蔦はフェンスを覆って、よい目隠しとしての役割を果たしていた。しかし、植えてから年月が経ち、いささか育ち過ぎてしまったのだ。もともと斑入りのエレガントな見た目だったのが、日当たりが良すぎるせいで鬱蒼とした濃い緑色の葉っぱになり、茎はごつごつとした木の幹のようになってしまっている。どんどん蔓が伸びてくるので、年に何度も刈り込まなくてはならず、しかも一部が枯れて茶色くなっているのが気になってしょうがない。というわけで一念発起し、全てを抜いてしまうことにしたのだ。
まずはどんどんと見える部分を切っていく。が、大容量のゴミ袋に入れようとすると茎が硬くて袋が破れてしまう。紐でまとめるにしては容量が大きすぎる。しょうがなくガムテープでなんとかひと纏まりにしてみるものの、家庭ゴミにするには申し訳ない量だ。「緑を守ろう」みたいなスローガンを考えた人は、植物のすさまじいパワーを知らないのだろうか。植物の生命力に比べれば、人間なんてひ弱な生き物でしかない。
結局2日がかりで地表部分のアイビーは凡そ無くなったが、問題はここからだった。いかんせん、根の繁殖力がすさまじい。雪かき用に買っておいたショベルを地面に垂直に当てて蹴り込む。地面奥深くまで入ったら、持ち手を押し下げて土を起こす。・・・はずなのだが、根が太くて持ち上がらない。根気よく繰り返して地表30cmくらいまでは耕したが、ところどころにある深い根がしぶとい。枝切り鋏を使ったりしながら抜き去っていく。こいつらは25年間、水や養分を求めて地中を探索してきたのだ。その歴史は数日で取り除けるものなんかじゃない。
以前、鉢植えのドラセナを植え替えようとした時も、根の強さに参ってしまった。鉢の内側にへばりついている根が取り除けない。磁器の表面に存在している見えない穴に根が入り込み、鉢と植物が一体化してしまっていた。肺に睡蓮の花が咲く病気はボリス・ヴィアンだったか。そんなわけはないのだけれど、この生命力の前ではそんなことも有り得る気がしてしまう。
とにもかくにも根だ。枝は伸びれば切ればいい。が、根はそう簡単ではない。なにしろ土の中で見えないのだから。星の王子さまに出てくるバオバブの木は、星を蝕んでしまうものとして書かれている。しかもその姿は、木を引っこ抜いて逆さに突っ込んだような格好をしているのだ。つまり、頭上高くの位置に、根っこのような姿の枝が茂っている。土の中はこんなふうなのか、と想像してしまうような光景だ。昔の人がこれを見て悪魔の仕業だと思ったのも得心がいく。
とある植物は、地中で出来てしまった老廃物を地表に吐き出す力を持っているという。人間は植物の部位を芽(目)とか葉(歯)とか花(鼻)とか名付けているが、彼らにとっての顔はむしろ地中にあるのかもしれない。水や養分を取り入れるのは専ら根のほうなのだから、そちら側がある意味「口」だとも言える。そして要らなくなったものを排泄するのが茎や葉なのだとすると、我々が地表で見ているのはむしろ彼らの下半身なのではないか。
だとすると、彼らが見ている世界は全く逆だ。人間というのは、彼らの足元より下に住む地底人のような存在となってしまう。植物は光合成をして酸素を作り出してくれていると我々は考えているが、やつらにとっては放屁ガスのようなものなのかもしれない。それを有り難がって、というか縋るように頼って生き延びているのが我々動物なのだ。などと考えてしまう。
冬になると根菜が美味しくなる。夏の間に美味しい葉物野菜とは対照的だ。日照が少ない冬になると、彼らの活動主体は地中のほうに移っているのだろう。そう、これからの寒い季節こそ、地中部分の彼らが本領発揮する時期だ。植物の恩恵にあずかる、というよりは、彼らに負けないように根菜をガツガツと食べたい。そんな気分になるのだ。(とはいえ、冬の冷気に虐められた葉物野菜も美味しいよなあ。)
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