インド

世の中には、インドに行ける人と行けない人がいる。それは運命で決まっている。

と、三島由紀夫が言っていた、と横尾忠則さんが書いていた。

(三島由紀夫と違い、横尾さんのことは呼び捨てにできない。以前ラジオにゲストで呼ばれた際、僕が横尾さんの本にハマっていることを知ったスタッフが、横尾さんにコメントをもらってきてくれた。そこで横尾さんから「谷口さん」と呼びかけられたからだ。)

サラリーマン3年目、インドへ旅行する計画をたてて休暇を申請していたがダメになった。ああ自分はインドに行けないほうの運命の人間なのかと諦めていた。当時、都営住宅のごみ処理設備の担当をしていたのだが、急遽、翌週に性能検査をすると言われたのだ。しかし当時の上司は、その日は違うやつに立ち会わせるから行ってこい、と言ってくれた。そう、自分はインドに行ける運命だったのだ。

旅行の計画といっても、成田からカルカッタに飛んでデリーから帰ってくるチケットを買っただけ。道中は一週間かけて、鉄道で移動しようと考えていた。

学生時代は沢木耕太郎や藤原新也さん(藤原さんは当時面識無かったが、今では「谷口くん」と呼んでくれる仲なので「さん付け」)に憧れてインド旅行をする友達が複数いた。そういう時代だった。

そのうちのひとりは、カルカッタでとある日本人を見たという。その日本人はインド社会の闇に堕ち、足を失くして帰国できなくなったという。日本人に会うのを避け、スケボーで逃げるらしい。怪談か都市伝説かというような話。カルカッタでその伝説は確認できなかったが、路上でその日暮らしをする母子はたくさん見かけた。

居心地が良いわけではないので、早々に鉄道で西に向かう。切符の自動販売機などあるわけがなく、聞き取れないインド英語を頼りに切符を買う。常に大声でないとコミュニケーションできない。電車は2時間くらい平気で遅れる。待ち時間の腹ごしらえは水とバナナ。パニ(水)とキヤ(バナナ)でヒンディー語は事足りる。たまにチャイを買うが、ミルク無しでと言うとものすごく驚かれる。

座席を確保したが、腹が痛くなる。トイレに行くと座席を奪われるのは明らか。でもしょうがない。前の夜に食べたものが悪かったのか。道に面したレストランでイキがって手を使って食べていたら、地元の子どもたちが珍しがってニヤニヤと近づいてきた。ミネラルウォーターいるか?と聞くので、じゃあ1本と頼むとどこかに走って行き茶色い水のペットボトルを持って戻ってきた。よく見るとキャップを1度開けた跡がある。そういう国だ。近くに停まっていたバスがすごい音を立てて発進すると、排気ガスに混じって大きな黒い塊がヒラヒラと飛んできて皿に落ちた。

そう、旅の目標は3つ。仏教発祥のブッダガヤに行くこと、ガンジス川を見ること、そしてシタールを習ってみること。まずはブッダガヤを目指した。目的地は最寄り駅からバスで少し行ったところ。そのバスがガス欠で停まってしまった。おいおいどうなってるんだ?という話をし始めて、乗客同士が仲良くなる。19歳で行ったカリフォルニアでも同じことがあった。その時はアル中オトコ2人組と仲良くなり、一緒に映画を見たりAA(アルコホリックスアノニマス)に参加したり。帰れなくなって泊めてもらったが、同じベッドで3人で寝るはめに。今思うと怖い。

ブッダガヤでは、帰省途中の学生と仲良くなり、彼の家まで歩いて向かった。お母さんの作る美味しいチャパティと川辺のオクラを頂いたのち散歩。家の無い老婆がいて何か拾っている。タバコの吸い殻を剥いてフィルター部分だけにして、嬉しそうに耳のピアスの穴に差し込んだ。

ガンジス川を観光するにはバラナシという町が良い。バラナシは都会だから楽器屋もあるだろう。そこでシタールについて尋ねよう。オー、お前はラッキーだ。シューサクエンドーの映画「ディープリバー」に出演したシタール演奏家が明日からウチの店に来るから教えてもらうと良い。映画の話は嘘だと思いつつも、その楽器屋に3日間通った。お前は筋がいいなあ、そしてそのデニムのパンツいいなあ、俺にくれ。まあ世話になってるし、もうボロボロだから明日あげるよ。前の日に仕立て屋で作ったパンツを履いて、店主にジーンズをあげた。今日で最後だ、約束通りシタールを買え。約束なんかしてねえよ、10万円以上するじゃないかよ、買えねえよ。2時間押し問答をして、結局おもちゃのシタールを1万円弱で買うはめに。使い物にならないしデカいので川に投げ捨てた。

宿からガンジス川に行くため、早朝にリキシャを雇う。Canonの一眼レフカメラを持ち歩くと、子どもたちが撮ってくれとうるさい。撮られるだけで嬉しいのだ。目立たないようにコンパクトカメラだけ持って、オート三輪車の後ろに乗り込む。噛みタバコを売っている一角に姉と弟がいる。弟は裸だ。さっと盗み撮りするようにシャッターを押す。旅行が終わってこの写真を見るとあまりにも出来が良く、ファインダーを覗かないほうが良い写真を撮れることにショックを受けて写真への熱が冷めた。(10年後にそのことを藤原さんに話すと、ああよくあるよと言われてさらにショック。)

その後、ようやく母なるガンガーと対面。ボートに乗って川の真ん中まで行くと、牛の死体が流れてくる。河岸では火葬らしい煙が上がっている。そして、無数の人たちが祈りながら沐浴している。ああ、ガンガーに来たんだ。小さなボートが近づいてきて、花束を手渡してくれる。神聖な気分が高まる。そして法外な金を要求される。無理矢理押し付けられた花束を押し返してひたすら無視。やかましくて神聖さ台無し。

宿まで戻るリキシャが、ちょっと遠回りしたいと言い出す。いいよと言うと、あらぬ方向へと走り出した。高級住宅街で身なりの良い双子の男の子を乗せる。なんだよ、毎朝の仕事とダブルブッキングしていたんじゃないか。美しい母親に見送られた男の子ふたりは、こちらをしげしげ見ながら狭いシートに腰掛ける。両脇に同じ顔の子供がふたり。キューブリック映画のようなシンメトリーな世界にクラクラする。

帰りの便に乗るにはリコンファームが必要と書いてある。宿の電話から航空会社へ。1週間経ってもインド英語は聴き取れない。一方的にしゃべって切るが、通じたかどうが甚だ不安だ。心配してもしょうがないので、早朝から鉄路でデリーへ。

走り出した窓から眺めると、見渡す限り緑の畑。雄大な風景だ。そこに花が咲いたようにポツンポツンと綺麗な色が見え隠れする。目を凝らすと、赤や黄色や紫のサリー姿の女性が等間隔にしゃがみこんで、こちらを見ている。なんて美しい姿だろう。あの女性たちは、自分が風景の中に溶け込んでいることを知らない。手を振ってくれるなら無邪気に振り返したい気分だ。しかし彼らは皆、畑に座り込んで何をしているのだろう。列車は川を渡る。そこで気づく。ああ、あれは朝のダップンだったのかと。

インドに1度旅すると、何度も通い詰める人と二度と行かない人に分かれる。そう横尾さんは書いていた。自分はそれ以来行っていない。

Naohisa TANIGUCHI's Wafers Studio

Naohisa TANIGUCHI's Wafers Studio

0コメント

  • 1000 / 1000